ブログ小説 整体師 諸星玄丈

一流商社をクビになったぼくは、あてもなく渋谷の街をぶらついていた。そんなとき、ぼくは前田備中と名乗る会社社長と知り合い、前田の仕事を手伝うことになる。仕事は雑誌の編集だという。
思いがけぬ出来事が次々と起き、ぼくの運命はあらぬ方向へと導かれ、やがてぼくは伝説的な整体師・諸星玄丈とその仲間たちと知り合う。だが、玄丈には魔の手が忍び寄っていた。ぼくたちは一致団結して、困難に立ち向かう。
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整体師 諸星玄丈 第111話
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第三章 如雪との出会い
4 下田での作戦会議(5)   

「こう言うと、みんなあっけに取られているよ」

 物知り博士は愉快そうな顔をして笑った。

「そうかあ」

 晴美も感心した顔で加藤さんを見ている。

「付け加えるとだね」

 物知り博士はまた口を開いた。どうやらこれが彼がいちばん言いたいことらしい。

「漠然とした質問に対する答えほど、頭のよさが表れるものはないんだよ。抽象的な質問を、いかに的確に自分の具体的な状況に引き落とせるかということなんだね。ぼくは人間を評価するさいにも、よくこの手を使うよ」

「うーん、なるほど。しかし、嫌味な人すね。加藤さんは」

 スシボンが呻くように言った。物知り博士は、それを聞いてますます嬉しそうに笑った。

 ぼくはこのとき、いつぞや会ったホテリザの吉村社長のことをを思い出した。

「加藤さん。それだったら、如雪に今後の事業方針をたずねるというのはどうでしょうかね?」

「なるほど」

 加藤さんはすぐ賛成してくれた。

「げっしんの言うように、如雪に事業の将来像を語らせるのは、いい方法かもしれないな。そうすれば、如雪がいま何を考え、どんな野心をもっているのか、また、なぜプロセス暗示を使ってまで派手な活動をしているのか、ある程度見当がつくかもしれん。どうだ、げっしん。できそうか?」

「調子に乗せて、如雪の本音を聞ければいいですけどね」

「うむ。それから、この場合のポイントは、如雪が本気で整体をつづける気があるのかということでもあると思うんだ。もちろん、如雪が素直にしゃべるかどうかはわからんが」

「たしかに、ぼくも彼が整体をどう考えているかはポイントになると思っています。如雪は少し違う方向に進んでいるような気もするんですけどね。それと、これはぼくの個人的な興味なんですが、どうして玄丈先生と如雪とが袂を別ったかということも知りたいものです」

「よし、そのあたりをみんなで突っ込んでいったらよさそうだな」

 加藤さんは、ようやく組んでいた腕をほどいた。



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| 第3章4 下田での作戦会議 | 07:17 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈 第110話
JUGEMテーマ:連載

第三章 如雪との出会い
4 下田での作戦会議(4) 

「ぼくは企業研修で、わざと漠然とした質問をすることがときどきあるんだよ」

 物知り博士は、ちょっとぼくたちの顔を眺めるようにして言葉を切ったが、またつづけた。

「たとえば、会社の企業理念について、考えるところを来週までにまとめてくるようにと言うんだ。そのとき、ほかには何も付け加えない」

「それだけじゃ、みんな当惑するでしょう?」

 ぼくは首を傾げた。

「そのとおり。もっと質問を明確に定義してくれとか、意味をはっきり示せと文句を言ってくる人間がいる」

「そりゃあ、当然ですよ。あんまり漠然とした質問だと、答えようがないもの」

「そんなことは百も承知さ。こっちは、それを承知で質問を出しているんだ。文句を言う人には、まあよく考えてとか、適当なことを言って、その場をおさめる」

「それじゃあ、腹を立てる人がいるかもしれないわね」

 晴美は納得できない顔をしている。

「まあそうなっても仕方ないね。頭のいい人ほどそう思うかもしれんね」

 加藤さんは口もとに笑いを浮かべながらつづけた。

「我々は、小学校のころから、適切かつ的確な質問をするよう、ずっと躾けられている。だから、こういう曖昧な質問は、するのもされるのも苦手なんだよ。だからこそ技が決まっちゃうんだな」

「なに、その技って?」

 晴美が加藤さんの横顔を怪訝そうな表情で見つめた。

「研修の終わりにぼくはいつもこう言うんだ」

 ――漠然とした質問をして皆さんを混乱させ、たいへん申し訳ありませんでした。しかし、これには意図があったのです。漠然とした質問というのは、実は何も聞いていないのと同じでしょう。それに答えるとなれば、結局、自分が日ごろ考えていることを述べるしかない。私はそれを知りたかったのです。

 加藤さんは、どうだという顔でぼくを見た。

「なるほど」

 ぼくは小さく呟いた。さすがは物知り博士だ。人間心理をよくわかっている。



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| 第3章4 下田での作戦会議 | 08:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈 第109話
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第三章 如雪との出会い
4 下田での作戦会議(3)

「で、君たちは何を如雪にぶつけるつもりかね?」

 加藤さんの問いかけに、晴美とスシボンはうつむいたまま口を開きそうもない。

「では、まずぼくから」

 異論がなさそうなのでつづけた。

「ぼくとしては、如雪がなぜあんなに世間を騒がすようなことをしているのか知りたいと思います。プロセス暗示を使ってまでなぜあんなに騒ぎを起こすのかです」

「それは大事なポイントだ」

 加藤さんはすぐ賛成してくれたが、晴美が顔をあげた。

「問題は、その聞き方だわ」

 加藤さんもうなずいて、言った。

「げっしんよ。どうしてプロセス暗示を使うのですかとストレートに聞いても、どうせ如雪のことだ。適当に返事をするだけだぞ」

 そう言うと、加藤さんは腕組みをして難しい顔になった。

「そうですねえ」

 ぼくも困ってそれ以上言葉が出ない。そのときだ。

「そうだ!」

 晴美が手を上げた。

「うん?」

 加藤さんは腕を組んだまま、横にいる晴美に視線を移した。

「如雪の信念をたずねるというのはどうかな?」

「さすが晴美ちゃん。グッド・ポイントだ。如雪がどんな信念や行動理念をもっているのか、是非知りたいところだな。それを聞けば、如雪の本音や狙いが明らかになるかもしれないな。ところで、そういうときは、あまり細かいところから攻めずに、むしろ抽象的で漠とした質問をするといい」

「あら、加藤さん。どうして抽象的な質問にするんですか? むしろできるだけ細かくきいた方がよくないの?」

 晴美が不思議そうな顔をした。

「これはインタビューや研修でのテクニックなんだがね」

 物知り博士の小鼻がぴくついた。


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| 第3章4 下田での作戦会議 | 09:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈 第108話
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第三章 如雪との出会い
4 下田での作戦会議(2)

 そのうち、加藤さんは自分の斜め前に座っているスシボンの様子が常ならぬのに気がついた。

 加藤さんは箸を置き、スシボンに声をかけた。

「スシボン君よ。君はずいぶん酒がいけるくちだそうじゃないか?」

「いや、それほどでもないすよ。最近はちょっと控え気味なんで」

「そうかい?」

 加藤さんが意外そうな眼をした。

 すると加藤さんの横にいた晴美が、正面に坐っているスシボンの顔をちらっと見てから言った。

「スシボン先生は、考えることがあるんですって」

「なに、スシボン君が考えることがある?」

 加藤さんがおかしそうに笑った。

「おれだって考えることくらいありますよ」

 スシボンが口を尖らせた。

「これは、これは、すまない」

 加藤さんは苦笑しながら謝って、つづけた。

「そういえば、見たところ箸が重そうだな。で、何を考えているのかね?」

「何って、如雪のことに決まってるじゃないすか」

「うむ」

「どうして如雪の遠当てなんかにひっかかったんだろうかって、ずっと悩んでるんすよ」

 スシボンは先ほど来、どことなく顔に覇気がない。

「遠当ては気が感応すれば起きるらしいから、如雪と君らとの間でなにがしかの感応があったのかもしらん」

「そこが、わからんのですよ。あの如雪とおれと、いったいどう感応するかっていうんだ」

 スシボンは頭を抱えたまま動かなくなってしまった。

「スシボン先生だけじゃないわよ」

 晴美が口をはさんだ。

「私だってそうよ。げっしんだって同じでしょう。ほんとに感応なんかしたのかなあ?」

 晴美も考えこむような顔をした。

「まあ、それはおいおい考えるとして、君たちは別に考えるべきことがあったのではないかね?」

 加藤さんが、促すような眼つきでぼくたちに言った。

 そうだった。伊豆くんだりまでやってきたのは、今度如雪と食事をするとき、どういう話をするか相談するためだった。いわば、ここは作戦会議室なのだ。


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| 第3章4 下田での作戦会議 | 11:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈 第107話
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第三章 如雪との出会い
4 下田での作戦会議(1)

 玄丈道場に戻ってきても、ぼくたちの意気はあがらなかった。如雪に食事を招待されていることが心に重くのしかかっていた。今の精神状態のまま出かけたら、如雪にいいように扱われてしまうのは明らかだった。

 ぼくたちは考えあぐねて、加藤さんに相談してみた。すると、さすがに物知り博士だけのことはある。気分転換したらどうだと言うのだ。

 たしかに、それはよいアイデアだった。しかし、そうは言ってもそれには先立つものが必要なので、どうしたものかと考えていると、物知り博士は下田に別荘をもっているから、それを提供しようとまで言ってくれた。

 八月の末日、一泊だけだったが、ぼくたち四人は伊豆半島の先端にある下田市に出かけた。スーパービュー踊り子号で下田まで直通、約二時間半の旅だ。

 加藤さんの別荘は、伊豆急下田駅から車で十分くらいの山の上にあった。まわりはほとんど人気がなく、別荘が何件かひっそりと建っているだけであった。

 別荘は二階建てであったが、切り立った斜面の上に建てられているため、道路に面しているのは二階部分で、一階に行くときは二階から下りていく構造になっていた。

 別荘の内部は山小屋のロッジ風で、いわゆるログハウスのようなつくりだった。居間は天井が高く、ヒノキの香りが心地よかった。

 居間からの眺望は素晴らしく、大きな一枚ガラスの窓からは伊豆の海を見下ろすことができ、また、眼を遠くにやれば伊豆の島々を望むことができた。ぼくは久しぶりに百八十度見渡せる水平線と、その上に広がる青空を見て、縮こまった胸が開くような思いがした。

 別荘にはガス、水道、キッチン設備などが完備しているので、食事をつくることもできたのだが、下田に着いた日の晩は、駅近くの日本料理屋で宴会騒ぎとなった。

「おい、げっしんよ」

 ぼくの真向かいに座った加藤さんが、いつもとは比べられないほど陽気な声をあげた。

「今日は何もかも忘れて、食って呑め」

「はーい。そうさせてもらいます」

 この日の食事は、ぼくたちの鬱憤を晴らそうとでもいうつもりか、超豪華なものになった。

 伊豆の名物はなんといっても伊勢海老であるからして、まずは伊勢海老の鬼殻焼きが出てきた。それから、かさごの唐揚げとあわびの踊り焼き、さざえのつぼ焼きも出てきた。もう、どれもたまらん。

 それに、とこぶしの煮付けを加えないと通とはいえない。そういえば、さざえの炊き込みご飯もこたえられなかったなあ。ああ、思い出すと今でもよだれが出る。このあたりは伊豆下田の定番なのだろう。ぼくたちは舌鼓を打ちながらぱくついた。

 そうそう、忘れちゃいけなかったのが、下田港で大量に水揚げされる金目鯛の煮付けだ。こいつは絶品なのだが、実は脂がのって最も美味くなるのは冬なのだ。だが、加藤さんのおごりだから文句は言えない。
 

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| 第3章4 下田での作戦会議 | 07:10 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈 第106話
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第三章 如雪との出会い
3 如雪とスシボン(8)

 講義の最後に、如雪が挨拶をした。

「最初に言ったとおり八月十六日にかなり強い地震が起きたね。世の中の気が乱れているから、こうなるのです。こうなったからには、我々はますます気を正していかないといけない。それと気が満ちた生活をする必要がある。稽古のときだけ気を満たしても、残りの大部分の時間をだらだら過ごしていては意味がないでしょう」

 如雪がそう言うと、受講生たちは大きくうなずいた。

「それと、こういう気が乱れている時期には、気のこもった品を身につけることがとても大事なんだね」

 如雪は前回同様、襟元を開いて、ダイヤモンドのネックレスを受講生たちに見せつけた。

 その姿を見て、一人の女受講生が声をあげた。

「私、さっそく銀座のお店に行って、如雪先生ご推薦のダイヤの指輪を買ってきました」

 女は媚びるような眼を如雪に向けた。

「そうですか、それはありがとう。きっと、あなたにはこれからよいことが起きますよ」

 如雪は女に笑顔を向けて答えてから、話題を変えた。

「今日は受講生のみなさんにご協力いただきましたが、おかげでなかなかよい稽古ができたと思いますよ。特に進藤さんと渡辺さんにはたいへんなご協力をいただき、ありがとうございました」

 如雪は二人に向かって軽く頭をさげ、さらに話をつづけた。

「そこにおられるお三人はお仲間ですか。もう一人の方は、たしか月田さんでしたね。そうだ、お三方にはお礼として、食事にご招待しよう」

 ――あとになって、なぜ如雪がぼくたち三人を食事に招待したのかわかったのだが、このときはまだ如雪のたくらみを察知できなかった。

 結局、ぼくたちはほうほうの体で活伝協会から逃げ帰ってきたが、三人とも精神的ダメージは大きく、しばらくは如雪のことを考えたくもなかった。

第3節終わり


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| 第3章3 如雪とスシボン  | 09:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈 第105話
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第三章 如雪との出会い
3 如雪とスシボン(7)

 ぼくは興奮のあまり眼に涙が溜まってきて、スシボンが少し滲んで見えてきた。

 だが、ふとスシボンの右腕を見ると、気のせいか動いているように思えた。そこで、眼をこすってもっとよく見たところ、指の先がピクピク痙攣しているらしいとわかった。

 もしかしたらと、ぼくは晴美に声をかけた。

「スシボンの手が、かすかに動いているような気がするんだけど」

「えっ、そう?」

 晴美は身を乗り出してスシボンの腕をのぞきこんだ。

「あ、そうよ、そうだわ。動いている。動いているわ、スシボン先生の手が!」

 晴美は感極まったように声をあげた。

 スシボンの手は、明らかにさっきより動きを増してきた。

「スシボンが動いた。スシボンは生きてるぞ!」

 ぼくは安堵の声をあげた。

 すると、スシボンが薄目をあけて、ぼくの顔を見上げながら口を開いた。途切れ途切れではあったがなんとか聞き取れた。

「おれを気やすく……スシボンと呼ぶな。……スシボン先生……と呼べ」

 スシボンの声は弱々しかったが、ともかくも生きていることは確認できた。これは望外の喜びであった。

 しばらくして、スシボンは助手の手を借りてなんとか立ち上がったが、スシボンの足もとはよろよろしてまったくおぼつかず、顔は蒼白で、幽霊を見たような顔つきをしていた。

 スシボンがひっくりかえっていたのはほんの一分か二分のことであったのだろう。だが、それがぼくたちにはとても長く感じられた。

 そんなわけで、ぼくたち三人にとってこの日の講義は初っ端からあまりにもショックが大きく、結局のところ、何を稽古したのか最後までわからずじまいの混乱ぶりであった。



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| 第3章3 如雪とスシボン  | 12:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈 第104話
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第三章 如雪との出会い
3 如雪とスシボン(6)

 如雪は彼の太い右腕にゆっくりと時間をかけて気を通した。

「よし、来たまえ」

 受講生たちは、如雪の声を聞くと一気に緊張し、固唾を呑んで事態の進行を見守った。

 如雪の合図を聞いたスシボンは、大きく息を吸って全身に力を満たしたのち、如雪の腕に向かって矢のような勢いで飛びかかっていった。

 その矢がまわりの空気を切り裂いて通過したあとには、つむじ風が吹いた。

 だが、ぼくがその風を感じる前に、矢は如雪の腕にすでに到達していた。

 そして、ついに矢が如雪の腕に突き刺さるかと思ったその瞬間。

 信じられないことが起きた。

 スシボンの体が宙に浮き、一瞬そのまま止まったかに見えたあと、猛烈な勢いで後ろに吹っ飛んだのだ。

 「ズドーン!」という轟音とともに床がふるえた。

 吹っ飛ばされたスシボンの背中が壁に激突したのだ。

「ウォー」

 異様な声が会場内に湧きあがった。

「すごい!」

 受講生たちは、口々にわめいた。

「遠当てだ!」

 ぼくは思わず叫んだ。これは遠当ての変形に違いない。

「スシボン、大丈夫か?」

 ぼくは小さく叫んだ。晴美も心配そうな顔つきでスシボンを離れたところから見つめている。

 しかし、スシボンはひっくりかえったまま、まったく動かない。

 もはやじっとしていられなくなって、ぼくと晴美はスシボンのところにすっ飛んでいった。

「スシボン、しっかりしろ!」

 何度声をかけても返事がない。

「スシボン先生! 大丈夫?」

 晴美も必死の形相で声をかけている。だが、スシボンはまるで反応しない。

「スシボン、死んだのか?」

 ぼくは本気でそう呟いた。すると、突然いろいろなことが頭の中に忙しく浮かんできた。

 ――玄丈先生に今日のことをどう報告したらよいだろうか。玄丈先生に怒られたらどうしよう。玄丈道場での道場葬ができるだろうか。はたして労災保険はおりるのだろうか。活伝協会は葬儀費用や慰謝料を支払うだろうか。それには司法解剖が必要なのだろうか。そういえば、昔買った喪服はきつくなってしまったから、新しいのを買わないといけないぞ。

 そんな現実的な対策が頭の中をぐるぐるかけまわった。


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| 第3章3 如雪とスシボン  | 10:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈 第103話
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第三章 如雪との出会い
3 如雪とスシボン(5)

 スシボンは相手が女なので、少々手加減したようだ。

 彼は余裕をもって歩きはじめ、やがて彼の太い腹のあたりが女のしなやかな細腕に当たった。相撲のように、腹で寄り切るようなつもりなのだろうか。

 だが、女の腕はびくともせず、腕の先から一歩も進めなかった。誇り高いスシボンにとっては、あまりにも惨めな敗北であった。

「もう一度たのんます」

 スシボンは如雪に嘆願するように言った。眼がだんだん真剣になっている。

「いいでしょう」

 如雪は声のない笑いを洩らしながら、スシボンの希望をかなえた。

 スシボンは、ここは一丁勢いをつけるつもりなのか、足を上げて床を大きく踏み鳴らした。そして、今度は女だとて容赦はしないぞとばかり、さっきとははっきり違う速さで、女の細腕目がけて突進していった。

 ところが、今度もまた腕を押しきれず、スシボンはひっくりかえってしまったのである。

「く、くそ。もう一丁」

 スシボンのやつ、かなり熱くなっている。

 如雪はその様子をおかしそうに笑って見ていたが、やおら口を開いた。

「今度は私がお相手いたそう。全力でぶつかってきて構わんですからな。よろしいかな?」

 やや挑発するような調子であった。

「はい。お願いいたしますです」

 スシボンは妙に下手にでたが、顔は望むところだと言っている。

 スシボンは如雪に背を向けて、三メートルほど離れたスタート地点に向かった。いかつい肩を大きく左右に揺さぶりながらゆっくりと歩いていく。

 そのとき、スシボンが、密かににやりと笑ったのにぼくは気づいた。願ってもないチャンスがやってきたというような顔だった。ラグビーの試合で見るような激しいタックルを、如雪にぶちかましてやろうと考えているんだろう。

 スタート地点に着いたスシボンは、如雪の方にゆっくり向き直った。もちろん、顔から笑いは消している。

 如雪は如雪で、その間に腕をまくり、スシボンを待ち受ける準備をしていた。このとき、如雪の腕が丸太棒のように太いのにぼくは初めて気づいた。しかし、いくら如雪の腕が女の腰より太くても、スシボンの爆撃機のような体に勝てるとはふつうは思えない。


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| 第3章3 如雪とスシボン  | 10:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈 第102話
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第三章 如雪との出会い
3 如雪とスシボン(4)

 如雪は晴美を落ち着かせようとして声をかけた。

「覚えていますか? 腕に力を入れず、腕をホースのようなつもりにして、指の先から水を流すようにイメージするんでしたね?」

 如雪の顔がにやけて嬉しそうに見えた。

「わかりました。やってみます」

 晴美は真剣な顔で答え、しばらく眼を瞑って必死にイメージングをしていた。

 ころは良しと見た如雪が、声をかけた。

「進藤さん。用意できましたか?」

 晴美は軽くうなずいた。

「はい、では君。歩いてきて」

 声をかけられた女助手は、晴美の腕に向かって早足でぶつかっていった。しかし、助手の体が晴美の腕に触れたとたん、助手は急ブレーキがかかったように停止してしまった。

「おー」

 会場では受講生たちがいっせいに声をあげた。そして、晴美に向かっていっせいに拍手を始めた。晴美は多少照れながらも嬉しそうな顔をした。

 如雪が「ありがとうございます」と言って手を差し出したので、晴美は如雪と握手を交わし、それから、ぼくたちのいるところに小躍りしながら戻ってきた。

「すごいわ。気はたしかにあるわね」

 晴美のほおは紅潮していた。


 晴美が終わったあとも、如雪はまた気の腕をやろうと言った。

「今度は体が大きくて力が強そうな人にしようか。おお、そうだ。君がいい」

 呼ばれたのはスシボンであった。

 スシボンはのっそりと如雪の前に出ていった。だが、右肩から右腕のあたりに妙に力が入っている。あいつ如雪にラリアットでもかますつもりでいるのか?

「すみません、お名前をお聞かせください」

 如雪がていねいにきいた。

「渡辺です」

「では渡辺さん。あなたが歩いてきてください」

 スシボンが車の役になり、女助手が遮断機の棒になった。



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| 第3章3 如雪とスシボン  | 10:40 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP